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モラル・ディレンマ/名言作家養成塾 

ブロック A
 旧サイト・合言葉たちの森の「徳度診断Q&A」のコーナーでも一部で取り上げましたが、「複数の倫理規範を同時に充足できず、どちらかを選ばなければならない状況」というモラル・ディレンマ(倫理的葛藤)の問題について、もう少し掘り下げてみたいと思います。善と悪ではなく、善と善が対立したときでも果たして倫理は成立するのでしょうか。

 例えば、船が座礁(ざしょう)して4人乗りの救命ボートに5人が乗るような事態になってしまった場合、どうすればよいのか? あるいは、兄と弟が同時に別の場所で事故を起こしてしまい、どちらも瀕死の重体だったとき、親(単親)はどちらのもとへ駆けつけるべきか?…など、いわゆる「究極の選択」に関する問題です。

 こんなとき、形式的規定や行為原則をリストアップするだけの直観主義や、理性的人格を前提として全ての構成員が同じ選択をしても問題が生じない行為(定言命法)に則(のっと)り、秩序を重んじる規範主義などは頼りなく感じてしまいます。かといって、できるだけ多くの人を可能な限り幸福にする「最大多数の最大幸福」を掲(かか)げる功利主義に従えば、「優秀な人材」を優先的に救出するという血も涙もない選択肢しか残りません。

 いかに「公共の福祉」の観点に寄って立つとはいえ、人間をビジネス以外のシーンでも(人財ではなく)「人材」扱いするような判断には賛同しかねます。それに、何をもって優秀とするのかの基準も難しく、仮に優秀でない人でも優秀な人の親友や恋人であれば「有用」な存在と考えられるし…といった具合に、因果・因縁の連鎖や波紋は単純に数値定量化して計算し尽くせるものではないでしょう。では一体、どうすればよいのか?

≫≫ 以下のブロック(↓)に続く


ブロック B
 筆者【拾壱】としては、倫理も決して万能ではないので一先(ひとま)ず理論的な「倫理の失敗」を素直に認めた上で、「待てば海路の日和(ひより)あり」や「運を天に任せる」式に、いずれも「選択しないという選択」をする方法を提唱してみたいと思います。先の救命ボートの例なら、5人が乗ったまま転覆(てんぷく)を繰り返し、誰かが波に呑(の)まれたり鮫(さめ)に襲われたり体力が消耗(しょうもう)したりするなどのアクシデントやハプニングによって自然と脱落するのを待つとか…。あるいは、兄弟の事故のケースなら、どちらのもとにも敢(あ)えて行かず、只管(ひたすら)快復を祈り続けることにするなど…。

 行為に優先順位をつけられない場合、無理をして「人為に訴えない」というのも有効な手立ての一つではないでしょうか? なお、どうしても何らかのアクションを起こしたいのなら、(さい)の目やジャンケンで決するのもよいかもしれません。

 何をふざけたことを言っているのか…と思われる方もいらっしゃるでしょうが、情と理の混成体である「論理だけでは説明しきれない倫理」は、必ずしも固定的な体系(規範)化に向いていないというのも事実です。分析と記述に特化した真理でさえ、その根拠づけをしようとすれば忽(たちま)ち無限後退循環論法独断(理想主義)などに陥(おちい)らざるをえないのですから。

 失敗(機能不全)を認めない完璧な「実証」への執着が、知らず知らずのうちに論理の飛躍や大前提の密輸入を侵すのだとすれば、意固地(いこじ)になって持説の倫理規範の番犬となるより「非体系(複雑適応系)」的であることのメリットを活かすことに専心した方が賢明かと思われます。それに、規範と価値が精妙に交差する倫理は、非体系の「遊び」の部分を残すことで失敗もするけれど、終点を定めない新たな弁証法として論理(体系内)矛盾を克服する可塑(かそ)性を秘めることになる…と言えなくもありません。【完】

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