スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

コメント(-) | トラックバック(-)

死という与件/名言作家養成塾 

ブロック A
 『人間の死亡率は、100%である。』 何を今さら…と思われるかもしれませんが、そのくせ人は必要以上に死を恐れているような気がします。ショッキングな出来事や現象を通じて、自分もいずれ「死ぬ存在」なのだと青天の霹靂(へきれき)のように強く自覚することで『哲学』に目覚める人もいるくらいですから、死は哲学にとって中核的なテーマの一つと言えるのでしょうが、この当たり前の(ことわり)を人はなかなか受け入れようとしません。

 もっと他の動物たちのように、生きる道(可能性)が残されている段階までは激しく抵抗するけれど、そこはかとなく状況判断で死を「悟って」からは、もはや観念して不様(ぶざま)な悪あがきはしない…といった潔(いさぎよ)い「自然な」死に方はできないものでしょうか。そもそも、「死なない生き物」がこの世のどこかに存在するのなら死を必要以上に「嘆く」のも分かりますが、(今のところ?)そんなバケモノは存在しないのですから、せいぜい「悲しむ」くらいで留(とど)めておくのが適切なリアクションであるはず。

 加えて、死とは「何か」を詳しく知りもしないくせに本能的なレベルを超えて「死にたくない!」だなんて、よくよく考えてみれば奇妙な話です。もしかすると、単純に冷たく腐った「死体」の様子から「死そのもの」についてまで同系的なマイナス・イメージを勝手に連想してしまっているのかもしれません。しかし、臨死体験でさえ厳密には「死に臨(のぞ)んだ」だけで「死んだ」わけではないのですから、誰も死についての十全な知識は持ち合わせていないはずなのに、何をそれほど恐れているのでしょうか。

≫≫ 以下のブロック(↓)に続く


ブロック B
 もちろん、得体(えたい)が知れないからこそ「不安」になって、それが「恐怖」に転じるという程度なら理解できますが、生に執着する人たちを目撃するに付け、それ以上の拒絶反応を示しているように感じられてなりません。何せ、科学的に「遺伝子」「時空」を操作してまで寿命を引き延ばし、生き永らえようとするような連中までいるくらいですから…。

 まったくもって、生命が「与えられたもの」であることや、死が果たす「世界=循環型社会の新陳代謝」とでも言うべき役割や機能、あるいは不老不死がもたらすであろう新たな問題や惨劇さえ無視した浅ましく下劣(げれつ)な振る舞いとしか思えません。筆者【拾壱】だって、死んでしまえばこうしてアフォリズムを創ったりコラムを書くこともできなくなるので、それ相応に無念だとは思いますが、むしろ恐れるのは死そのものよりも死に伴う「痛みや苦しみ」の方です。

 なぜなら、語弊(ごへい)があるかもしれませんが…できることならモラリスト人間学を学ぶ者)としては、美しく道徳的な最期を迎えたいと願っているから…。ゲストの皆様も、死生観を台無しにして生命に対する尊厳を損なうような「死なない方法」なんぞを延々(えんえん)と夢想するのはやめて、「有終の美」について思いを巡らしながら「辞世の句」でも創ってみてはいかがでしょう?【完】

コメント(-) | トラックバック(-)
BOOK-MARK
eda-line
NEW-OPEN
※ 姉妹サイト開設!
CM & PR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
AVATAR
juuichi-ava

≪筆者・講師≫
H・N :拾壱(じゅういち)
性別 :男(♂)

CONTACT


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。