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反経験至上主義/名言作家養成塾 

ブロック A
 現実はもっと複雑なのだから「アフォリズム実際的でない」という批判は、言語の機能性に対する無理解から生じていると思われます。哲学の世界でも「認識論」の枠組みの中で盛んに取り上げられている問題ですが…お互いの脳の神経回路を直結でもしないかぎり、相手の考えや気持ちなんて本当の意味で分かりっこないのは、そもそもが自明の理。「思いやり」という倫理の原点でさえ、「想像力」という曖昧(あいまい)で儚(はかな)げな能力によって支えられていることを熟知すべきです。

 それに「体験談」であっても言葉を使って語られる以上、言語化の過程で内容が捨象(しゃしょう)され欠落してしまうのは「発話の宿命」として避けられず、伝言ゲームの結末からも明らかなように、正確な「語り継ぎ」は困難を極めます。むしろ、言葉の抽象性を逆用して具体的でないからこそ「分かり合えた気になれる」といったプラスの側面に光を当てるべきではないでしょうか。

 体験・行動主義者の人たちだって、「孤」に閉じこもり独我論を唱えるのでなければ、社会的な「個」として汎用(はんよう)性の高い言語を通じて対人関係の輪を築いていくしかないはず。

≫≫ 以下のブロック(↓)に続く


ブロック B
 語り得ないものは、いくら経験を積んだところで語り得ないとすれば、言葉の限界を心得(こころえ)つつも「実体験」できないことを言葉による想像力で擬似(ぎじ)体験するのは、決して悪いことではないでしょう。全ての人が「良い体験」をできるわけではないし、「同じ体験」を共有できるわけでもないとしたら、「悪い体験」や「違う体験」だらけの人たちとも分け隔(へだ)てなく交感するためには、万人(ばんにん)に通用し共用できる普遍的で抽象的な言葉という媒体(ばいたい)を使うしかありません。

 最初のうちは擦(す)れ違いで終わったとしても、何度も繰り返し使用しているうちに言語力や想像力は鍛(きた)えられて、徐々(じょじょ)に「精度」を増していくものです。よって、(アフォリズムに限らず)その抽象性を槍玉(やりだま)に挙げて無闇(むやみ)に非難するような人たちは、すべからく言葉の使用を金輪際(こんりんざい)やめるべきだと思います。【完】

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