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長文(悪文)の害毒/名言作家養成塾 

ブロック A
 かつて新聞社の読書に関する世論調査で、本を読まない理由の第2位か3位に「読んでも内容を忘れてしまうから」というものがありました。そう言われてみれば、筆者【拾壱】なんぞは3日前に読んだ本の内容さえ思い出すのに四苦八苦してしまいます。多読乱読タイプの読書家の人からすれば、憶(おぼ)えていないものは自分にとって必要のなかったものだと割り切ればよいし、無意識のレベルに蓄積するものがあれば何かの切っ掛けで引き出せるはず…と言われるかもしれません。

 しかし、読書の価値の文化的側面に着目して「役に立つか否(いな)かなどと考えるのは野暮(やぼ)だ」というのならともかく、一般の方々にとって人生の貴重な時間を割(さ)いたであろう読書が殆(ほとん)ど身になっていないというのは、ある意味で由々(ゆゆ)しき事態ではないでしょうか。

 しかも、原稿料が「1枚いくら」の出版業界では、邪推かもしれませんが…作家が生計を立てるため、やむを得ず(あるいは故意に)内容を薄めて膨(ふく)らませ、無理やり引き伸ばすような「長編化」の技巧を悪用していないとも言い切れません。あるいは、読者の側も商品としての体裁(ていさい)を求めるあまり、例えば本の厚さや見た目=装丁(そうてい)の仕上がりなどで価値を判断し、それを読破(吸収なしの消化)することが自己目的化しているように見受けられることがあります。

≫≫ 以下のブロック(↓)に続く


ブロック B
 散文というものは、必然的に読解と読了に多大なエネルギーを集中させざるをえない性質のものなので、それに疲れ果てて読後感を自分の考えと摺(す)り合わせ血肉化する作業を怠(おこた)ってしまいがちです。気が付けば、異口同音(いくどうおん)に同じ内容の変奏再演に終始する処世術読本(とくほん)や自己啓発本、婉曲(えんきょく)的かつ難解で空疎(くうそ)なだけの似非(えせ)文学やフィクション作品を何度もつかまされては繰り返し読んでいた…なんてことになっていたり。

 無論、長文でしか表現できないことは沢山(たくさん)ありますし、体系的な知識を構築する上でも必要不可欠…という点に関しては間違いないと思うのですが、少なくとも贅言(ぜいげん)を極限まで削り落とした先哲たちの優秀なアフォリズムの方が、読み手にとって印象深く意義深い上に時間的費用も安価であることは、言(げん)を俟(ま)たないでしょう。

 ところで、当サイト内のコラムを全て合体させたら結構な「長文」になると思うのですが…それにつきましては、もはやゲストの皆様にとって悪文でないことを祈るのみです。【完】

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