SN-056/名言作家養成塾 



プレーン・テキスト

≫≫ 解説 ≪≪

 詳細は、コラム「嗚呼、いのち!」を参照して頂きたいのですが、命の大切さについて論じるとき、感情的または感傷(かんしょう)的になりそうな気持ちを抑(おさ)えて冷静に本質を見極めると、命を大切にしなければ他の何ものも大切にはできないという真実が浮かび上がってきます。

 つまり、命は「何かを大切にする」という行為や価値の淵源(えんげん)であり発生源なのであって、その大前提を否定するということは(生きていく上で)事実上不可能といっても過言(かごん)ではありません。なぜなら、何かを肯定したり否定したりするためにも、まずもって命がなければならないのですから。

 僭越(せんえつ)ながら、「命あっての物種(ものだね)」という言葉を聞いたことがあっても、本当は実感として腑(ふ)に落ちずよく理解できていなかった…という人たちにとって、この句が明快な一つの答えを教示できたなら幸いです。

≫≫ 補足A ≪≪

 さらに踏み込んで言うと、命は簡単に奪えてしまうし、食物連鎖の関係で他の生物の命を殺(あや)めて食すことでしか(今の科学文明では)保つことができないため、神聖で絶対的なもの(絶対項)とまでは言い切れないけれど、何かを大切にするといった「価値そのもの」の本源であり生みの親(超越項)であるという次元において大切にしなければならない…ということ。

※ 注 : 本来であれば、(論理学というより)哲学的な上位概念の扱いで大切にする対象ですらなく、「それ以前(以上)」のものではあるけれど、「大切」という言葉とは別の的確な表現が見当たらないため、仕方なく採用。

 そして、やむにやまれず(食糧や必要悪のような犠牲など)不可避的に命を奪わなければならない事情があったとしても、決して粗末に扱わず、命を命らしく謹(つつし)んで頂戴(ちょうだい)」し感謝する心を忘れないこと。それを守らずして、何が「価値」か!?

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≪筆者・講師≫
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