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感動より理動を!/名言作家養成塾 

ブロック A
 例えば、世界一周旅行をしたり、スキューバ・ダイビングをしたり、素敵な映画を鑑賞したりして「人生観が変わった」…というような発言をよく耳にしますが、それでは具体的に当事者の思考もしくは行動パターン・生活態度等に何らかの重大な変化があったのかと尋(たず)ねてみれば、おそらく大抵(たいてい)の人は特に代わり映えしていない…と答えることでしょう。

 なぜなら、ここでいう「人生観が変わった」というのは、良くも悪くも「感動した!」という意味の最上級表現にすぎず、実質的な生き様の変化を指すものではないからです。その人の揚げ足を取ったり「表現の自由」を奪ったりするつもりはありませんが、残念ながら各人に固有の人生観はそれほど容易に変わるはずもなく…。特に、幾分か棘(とげ)のある物言いになってしまって恐縮ですが、消費財化した軽薄なエンターテインメント作品の鑑賞くらいでは、その場の感動を翌日に持ち越すことすら困難でしょう。

 要するに、感動が本物の域にまで達して「感極まる」ためには、対象作品が歴史的・社会的なテーマを絶妙に取り入れた超一流の水準に達しているだけでなく、それを受け取る側の感受性の豊かさや造詣(ぞうけい)の深さまでも同時に要求されるのです。よって、ある人にとっては至高の芸術作品だったとしても、別の人にとっては取るに足らない駄作に感じられるといった事態が、所謂(いわゆる)文芸の世界では往々(おうおう)にして起こり得えます。

 それでは他方、哲学的「理動」を追求する銘言はといえば、「感動」のように特化あるいは深化しようとすると普遍性が損なわれ効果が薄まるといった副作用もなく、人生の皮肉や隠された真実を分かりやすい言葉と力強いインパクトで受け手に伝えることが可能と言えるでしょう。なぜなら、それは(一般的な理解力さえあれば)誰もが承知し、合点できる性質の代物(しろもの)だからです。

≫≫ 以下のブロック(↓)に続く


ブロック B
 もちろん、「感動」のケースと同じく、それが日常生活における思考・行動パターンの変化に結びつくかと問われれば、例えば義務教育の段階でも接する「標語」のように、作品の甲乙(こうおつ)で浸透(しんとう)レベルの差や効果のバラツキは生じてしまうことでしょう。しかし、それでも内容を理解してもらうところまでは、特別これといった予備知識もなく到達可能といえるはずです。

 このことは、何も「理動」や「感動」そのものに優劣をつけているわけではなく、受け手へのアプローチの手法や機能性と方向性の違いなどを示唆(しさ)しているにすぎません。そして、銘言の果たすべき役割や目的に適(かな)うためには、少なくとも皮相な(感動のための)感動より、人々の問題意識を覚醒させてアウェアネス(気付き)へと導くような「理動」が発せられる作品づくりを心がけた方が、上等な仕上がりになるのではないでしょうか。

 そして、あなたが哲学徒であり、さらに「銘言」作家を志(こころざ)すというのであれば、究極的には得体(えたい)の知れないHOTな「感動」に理論的な道筋をつけ、その正体…すなわちメカニズムを詳(つまび)らかにし、COOLな「理動」に翻訳(ほんやく)するくらいの姿勢が求めらて然(しか)るべきだと思います。

 そもそも、感動するだけで終わってもよいのは観衆や聴衆にのみ与えられた特権ではありますが、欲をいえば彼らをも巻き込んで「考えさせられる」ような作品を創れたなら、名言(銘言)作家の資質を十二分に備えていると言えるかもしれません。【完】  

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