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SN-032/名言作家養成塾 

sn-032gas

プレーン・テキスト

≫≫ 解説 ≪≪

 つまり、疑わしい部分があるからこそ信じてあげなければならない…という意味で、信じることは心の底で疑うということ。初めから裏切りを想定しているといっても過言ではなく、一度くらい裏切られたからといって「信じていたのに!」と捨てゼリフを吐きながら絶対に許してくれないような人がいたら、その人は最初から信じてなどいなかったと言えるでしょう。

 真実というのは本来、一点の曇(くも)りもなく疑いようがないから真実なのであって、信不信の問題とは無縁のように思われますが、そこに人間(の解釈)が介在する限り、嘘や裏切りの可能性は付き物。だからこそ、例えば「信じているよ」という言葉の力で保険をかけて裏切りを抑止する必要性が生じるのです。

≫≫ 補足A ≪≪

 信心深い方には申し訳ありませんが…というより、軽く受け流して頂きたいのですが、哲学徒の悲しい(さが)として「信」の問題を哲学すると、恐れ多くも場合によっては「神」でさえ、この句の例に漏れないと言えるかもしれません。

 つまり、神を信じるということは、神の存在を心のどこかで疑っているからこそ、あるいはその存在を証明できないからこそ、「信じる」という行為によって顕(あらわ)そうとしているのではないか…と。

 もちろん、これをもって神は存在しないと言いたいわけでも言えるわけでもありません。ただ、神が絶対に存在するというのなら、そもそも「信じる」必要性がないと思うのです。「存在するもの」や「確かなもの」というのは、信じようが信じまいが厳然として揺るぎなく在(あ)らせられるのですから…。

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